今までと、これから

今日は青年海外協力隊員として、最後の日。


明日から私は、日本の公立小学校の教員に戻ります。

f:id:africa_japan:20200630183205j:image

 

コロナウイルスの影響で緊急退避の指示が下り
日本に帰国した3月末からの約3ヶ月間、
私は何度も
「かわいそう」
「残念だったね」
と声を掛けられました。

 

心配してくれてありがとう。

 

でも、私はちっともかわいそうではないし、不幸でもありません。

 

なぜなら、途中撤退という無念さ以上に
今回のアフリカでの経験から受け取ったものが大きすぎるから。


こんなにも貴重で、特別な時間を過ごさせてもらった私は

総じて見れば
やっぱり本当に本当に、幸せ者なのです。

 

もちろん、悔しさはたくさんあります。
撤退の連絡を受けたときは、涙が出ました。

 

日本に帰国して、予想外に咲き乱れていたとても美しい桜をながめながら
「アフリカのみんなはどうしているだろう」
と考えたときも、しばらく涙が止まらなかった。

f:id:africa_japan:20200630183116j:image


でも心の整理をつけた今は、受け取ったものたちへの感謝のほうが大きすぎて、
穏やかに現実を受け止めています。

f:id:africa_japan:20200630183358j:image

 

海外で教員として働きたい、と考えたときから

気が付けば10年もの歳月が流れていました。


教師を目指そう!と思い立ち、
通信の大学で免許取得のための勉強を始めたのは、23歳。

 

その後、新卒から3年半勤めた会社を辞めて、
家賃22000円(共益費7000円)の家に引越し、
当時はバイトを掛け持ちしながら
自転車操業の日々でした。
(これがまたなかなかのデンジャラスマンションで、しょっちゅう事件が起きては警察が捜査に来ていたなぁ、ある意味アフリカよりサバイバルな日々だった)

 

教員免許を取得したあとも
なかなか教員採用試験に受かることができず、
不合格の通知が届くたびに
当時講師をしていた学校のトイレで
ひとりメソメソ泣いていたときもあったな。


そのときからずっと変わらず持ち続けていた夢が、
海外の学校で教師として働くということ。

 

とにかくたくさんの価値観に触れて
自分のカチコチの頭に喝を入れながら
多様性を受け入れられる、そして風通しのよい学級を作ることができる教師になりたかった。


いろいろ考えた上で
日本とはよりかけ離れた価値観の中で生活するには、青年海外協力隊が一番いい!と思い

尚且つ「帰国してから風通しのよい学級を作ること」に重きを置いていた私は
帰国後に必ず教職に戻ることができる保障が欲しかった。


調べ尽くした結果、さまざまな条件をクリアしなければならないけれど
「現職教員特別参加制度」というもので参加すれば
自分のやりたいビジョンにピッタリはまるのではないかと考え
その枠での派遣を、死に物狂いで追いかけていたのが20代から30代のはじめ。

 

その間に父が亡くなったり、それなりに恋愛をしたりして
うまく夢を追いかけられなくなりそうなことも何度もあった。


教員採用試験になんとか合格し
派遣枠受験のための条件をクリアして、
自治体やJICAの試験を突破できた頃には
もう10年もの年月が経っていました。

 

f:id:africa_japan:20200630183336j:image

 


実質アフリカにいた時間だけがすべてではない、
渡航するまでも
帰国後の現在も
たくさんの感情を知り、多くの出会いがあって、
人生において特別な時間を沢山過ごすことができたと思っています。

 

夢を追いかけている間って、
もうそれはそれは、計り知れないほどのエネルギーが湧いてくる。

 

しかも私は、器用でもないし賢くもない、
何でも人並み以上に努力をしないと
「人並み」になることができない人間なので

今振り返ると本当に膨大なパワーを使って駆け抜けてきました。


自分に自信はないほうだけれど、
一心不乱、がむしゃらに生きてきたということだけは
胸を張って言うことができる。


夢を追うって本当に決していいことばかりじゃない。 
時に裏切られ、思い通りにならなくて
悲しくて仕方ないときもあるけれど

 

良いことも悪いことも含めて
「海外で教員として活動する」という目標に
私は強く支えられ、生きてきたように思います。

f:id:africa_japan:20200630183240j:image

 

 

アフリカでの8ヶ月間は、
予定していた1年9ヶ月に比べると
とても儚い時間だったけれど


私は確かに

アフリカで生きていました。

 

f:id:africa_japan:20200630183541j:image
f:id:africa_japan:20200630183538j:image

f:id:africa_japan:20200630183743j:image

 

こんなにも自分の無力さや至らなさに向き合えることって
この先なかなかないだろうと思います。

 

言葉も分からなくて生活もままならない、

弱くて情けない自分。

 

ボランティアに来てるはずなのに
私はこの村で一番困っている人になってしまった...
と停電した真っ暗な部屋で
ひとり何度も考えました。

 

そんなときに、さりげなく声を掛けてくれた現地の人の言葉が泣けるほどうれしくて
「本当の人助けってこういうことか」
ということも、彼らから学びました。

 

初めて任地に行った翌朝、
朝食屋さんの場所が分からなくて困っていた私を、快くお店まで案内してくれたのは
8歳の女の子でした。
(後に彼女は私の親友となります)

f:id:africa_japan:20200630183553j:image

 

何もできなくて凹んでいた私に
「我が家にご飯食べにおいで!」
と毎日声を掛けてくれた学校の先生、

f:id:africa_japan:20200630183606j:image

 

「君は私の家族だからね、いつでも頼って!」
と言ってくれたブティックのおじちゃん、近所の人たち。

f:id:africa_japan:20200630183832j:image

f:id:africa_japan:20200630183630j:image

f:id:africa_japan:20200630183948j:image
f:id:africa_japan:20200630183635j:image

あげればキリがないほど
沢山の人に助けられて、生きていました。

 

ずっと思い描いていた

「沢山の価値観に触れる」という目的は、

間違いなく達成できたと思います。

f:id:africa_japan:20200630183656j:image

経験することは、想像しているだけとはやっぱり違うことも知りました。

私はこれからも経験することを大切にしていきたいし、

でも、経験できないこともきっとあるから

最大限まで想像し続ける努力も絶やさないようにしたいな。

f:id:africa_japan:20200630183659j:image


緊急退避となり急遽帰国した私は
きっとすぐに日本の生活に馴染んでしまって
帰国直後に感じた「日本すごい」って思いや、アフリカでの自分なんてあっという間に忘れてしまうんだろうなぁ
と思っていたけれど

 

私は今も「アフリカの日々」の延長を生きている感覚があって
アフリカでの日々はちっとも色褪せることはありませんでした。

 

今だに「わ!これが日本か」と
驚くことはいろいろあるし、
なんていうか、アフリカで経験した強烈な日々が今も自分の中に色濃く流れているのが感覚としてとても鮮明にわかる。


約10年間、私を虜にしてくれて、
そして私にたくさんの希望とエネルギーを与えてくれて、
今はこの夢に
本当にありがとう
という気持ち。


一番最初に「感謝の気持ちのほうが大きいから、私は幸せだしかわいそうじゃない」と書いたけれど
私が今穏やかに現実を受け止めることができているもう1つの理由は、
今が通過点でしかないと思っているから。


今回経験したことを必ず日本の子どもたちに伝えていきたいし、
語学の勉強ももっともっとがんばって
私が助けてもらったように
今度は日本に住む外国の人を助けられるようになりたい。

 

どうがんばっても自分一人の力では打ち勝つことができないコロナウィルスに反してでも再渡航するのではなくて

 

またベストなタイミングでもう一度国際協力に携わりたい、
今は冷静にそう思う。


きっと人生にはいろいろなときがあって
今は、今やるべきことを落ち着いて考えたい。


アフリカで毎日見ていた、泣けるほど綺麗な夕日と、どこまでも続く広い地平線は
日本では見ることができなくなった。

f:id:africa_japan:20200630184129j:image

f:id:africa_japan:20200630184137j:image

f:id:africa_japan:20200630201611j:image


でも、私は、ビルがひしめき合い、真面目さと向上心が溢れかえっている忙しい日本も大好きで

f:id:africa_japan:20200630184252j:image

f:id:africa_japan:20200630184248j:image
きっと、両方を見ているから、アフリカでの日々をこんなに愛おしく思うのだろう。

 

 


最後に。
底抜けに明るくて陽気な現地のみんな、生涯忘れられない日々を共にしてくれて本当にありがとう。

 

JICAスタッフの皆さん、最後のドラマのような脱出劇の際、的確な判断と指示に本当に救われました。生活すべてにおいての心強いサポート、心から感謝しています。

 

隊員のみんな、先輩たち、本当に私にとっての戦友です。きちんと別れを告げられずに離れてしまったのがとても心残り。

でも、また会えるよね。

 

何年も何年も笑、私の夢物語に付き合ってくれて、そしてたくさん話を聞いてくれた名古屋の友達たち、今の私はみんながいてくれたからです。

 

家族のみんな、奔放な娘をいつも大きな心で見守ってくれて感謝しています。

 

 

そしてなにより

最大の理解者である旦那さん、

「やれることが減る結婚じゃなくて、より人生が広がるような、強く生きていけるような結婚がしたい」
と言っていた私の願いを
しっかり実現させてくれました。
本当にどうもありがとう。
あなたのことは一生越えられないと思っているし
ずっと尊敬しています。

 

今までの日々に感謝して、

2020.6.30
夢物語、
完!

 

 

(と見せかけて、通過点なのでまだまだ続きます。!)